Reservation空室検索・予約
航空券付きプラン
新幹線付き宿泊プラン
提携法人専用予約
2026.06.20
NEIGHBORS

大阪・北浜(きたはま)。江戸時代より商人の町として栄え、商いや金融を担う人々が行き交ってきたこの街では、手土産やもてなしの文化が自然と育まれてきました。
商談の場や節目の挨拶など、言葉の代わりに想いを託すものとして「和菓子」はこの街の日常に寄り添ってきた存在です。
そんな北浜の一角に、大きな看板は掲げず、ガラス越しに小さく店名が記されているだけの“知らなければ辿り着けない和菓子店”があります。
江戸の天保年間創業の老舗「菊壽堂義信(きくじゅどうよしのぶ)」。約200年もの間、18代にわたりこの街の暮らしとともに和菓子を作り続けてきました。

お店の歴史を教えてくれた18代目店主、久保哲也さん
「看板がないって言われることも多いんですけど。僕らにとっては、ずっとこれが普通なんです。」そう話すのは、18代目店主の久保 哲也(くぼ てつや)さん。子どものころから、この店には大きな看板がなかったと言います。
「広告を出そうと思ったこともないですね。そもそも、そんなに数が作れないんです。」
「菊壽堂義信」の和菓子は、すべて手仕事。一度に作れる量には限りがあり、無理に人を呼び込めば、目の前のお客様を大切にできなくなってしまうー。
「お客さんが増えすぎたら、機械を入れなあかん。でも、それは違うなって。」
看板を掲げないことは、美学でも戦略でもありません。ただ、“今できることを、きちんと続ける”という、ごく自然な選択なのです。

大切なお客様を迎え続けている店内
「菊壽堂義信」は、もともと商売が盛んに行われていた大阪を代表する街、船場で創業しました。しかし戦争で店は焼失し、現在の場所へと移転。
屋号もかつては「大和屋」を名乗っていましたが、ある代の店主が菊をかたどった菓子を得意としていたことから「菊を店名に入れたらどうか」という話になり、「菊壽堂義信」を名乗るようになったといいます。
「正直、何代続いているかとか、名前がどうかっていうのはあまり重要じゃないと思っていて。」と哲也さん。
哲也さんが大切にしているのは、“今、食べてくれる人”の存在です。

代々受け継がれるあんこの炊き方
現在店を切り盛りするのは、哲也さんの父で17代目久保昌也(くぼ まさや)さんと18代目の親子ふたり。家族経営にこだわる理由も、そこにあります。
「自分で作ったものを、自分の手で売りたい。最後まで責任を持って届けたいんです。」
炊き上げるあんこは一日一升分だけで、材料は小豆と上白糖のみ。作り方も、代々受け継がれてきた方法を変えていません。
「よいと思ってきたものは、無理に変えんでいい。続けること自体に価値があると思うんです。」
売り切れ次第、店を閉める。それもまた、この店が守り続けてきた覚悟のかたちです。

自分たちが思う“よい”を重ね続ける「菊壽堂義信」の名物が、注文してから仕上げる「高麗(こうらい)餅」。15代目の時に、喫茶でさっと提供できる菓子として生まれました。
大福のように生地を練る必要はなく、求肥をあんで包み、手早く握る。その姿は、どこかにぎり寿司を思わせます。

注文が入ってから握る「高麗餅」
「せっかくなら、一番おいしい状態で食べてほしいですから。」
高麗餅は、白のこし餡、粒あん、ごま、抹茶など全5種。あんこが外に出ているため、時間が経つと乾いてしまう。だからこそ、店内で“出来立て”を味わうことに意味があります。
素材も工程も驚くほどシンプルですが、その一口に長い時間と手仕事の積み重ねが滲みます。

「未来のことは、正直わからないです。」そう前置きしながら、哲也さんは続けます。
「でも、昔から大切にしてきたことを、今日も明日も続けていく。それが1週間、1年、10年と積み重なればいいなと。」
「菊壽堂義信」が目指すのは、派手な変化や新しいことを打ち出すことより、バランスを崩さず続けることなのです。
知らなければ辿り着けない場所で出会う、およそ200年続く老舗和菓子店。静かで、誠実で、必要以上に語らないその味わいは、旅の記憶にそっと残り続けるはずです。
菊壽堂義信
電話: 06-6231-3814
住所:阪府大阪市中央区高麗橋2-3-1
アクセス: Osaka Metro堺筋線 北浜駅 から徒歩2分
SNS: https://www.instagram.com/kikujudo_osaka/
*営業時間や定休日についての詳細は、上記のリンク先からご確認ください。