2024.03.15
NEIGHBORS
天神橋を起点とし、日本一の長さを誇る天神筋商店街。大阪らしい活気溢れるこの商店街は、学問の神様・菅原道真を祀る大阪天満宮の門前町として栄えたことが始まりでした。
その大阪天満宮の正門脇で見つけたのは、「大阪ガラス発祥の地」と記された石碑。大阪天満は江戸時代に長崎の商人・播磨清兵衛がガラス製法を持ち込んだ場所でもあるのです。
石碑から歩くこと約10分、独特の輝きを有し大阪のガラス文化を守る「天満切子工房 昌榮」を訪れました。
切り込みが万華鏡のように広がる美しいグラス
切子とは、ガラスの表面にカットを入れて模様をつける日本の伝統的なガラス加工法。そうした従来の切子に独自のカット技法を加えて生まれたのが天満切子です。
「天満切子の最大の魅力は、飲み物を注いだときにグラスの底の模様が側面に映り込み、万華鏡のように輝くことです。」と切子師の西川昌美(にしかわまさみ)さんがグラスに水を注いで見せてくれました。
U字型の回転工具で削りあげられたガラスがレンズの役割を果たし、水を入れたときに模様が浮かび上がる仕組みだそう。こうした映り込みは従来の切子にはなかったのだとか。
「大阪のガラスの灯を消したくない」天満切子の始まり
明治・昭和初期には多くのガラス工場や加工場が軒を並べていた大阪天満。しかし、消防法の改正や戦後に安価な輸入ガラスが流れ込んだことが原因で衰退の一途を辿るようになったのです。
そこで立ち上がったのが西川さんの師である宇良武一(うらたけいち)氏。廃れゆく大阪のガラス産業を目の当たりにし、「大阪のガラスの灯を消したくない」と試行錯誤した末に天満切子は生まれました。
天満切子を認めてもらうため走り続けた5年間
大阪のガラス文化を支える存在として生まれた天満切子ですが、新たな工芸品が人々に認められるまでの道のりは長く険しいものでした。
「『切子とはこういうものだ』というイメージが固まっているので、斬新な天満切子はなかなか受け入れてもらえませんでした。あちこちで出店して映り込みの輝きを見せたり、技術の説明をしたりと走り続けました。本当に大変な5年間でしたが、地道な行動の積み重ねでようやく世の中の人が見てくれるようになったんです。」と懐かしそうに振り返る西川さん。
「師の想いを引き継いでいく」切子師・昌榮の決意
工房名にも入っている「昌榮」(しょうえい)とは、西川さんが師である宇良 武一氏から授けられた切子師としての名です。
元々は切子とは無縁のお仕事をされていた西川さんですが、新聞に掲載されていた記事を見て宇良氏の切子教室に通い始めたことをきっかけに、切子の魅力にのめり込んでいったとか。
気づけば宇良武一氏、その兄の宇良榮一(うらえいいち)氏の三人で天満切子の確立に奔走するように。そうした日々の中、ある日榮一氏は帰らぬ人となってしまいました。その後、武一氏は亡き兄・榮一氏の「榮」と、西川昌美さんの「昌」の字を合わせて「昌榮」という名を与えました。
「『大阪天満はガラスで栄えた町だということを残していかなければならない』という宇良兄弟の想いは引き継いでいきたいです。」と話す表情には切子師・昌榮としての覚悟が垣間見えました。
飽くなき技術の追求
「天満切子工房 昌榮」は切子技術の追求と、伝統の引き継ぎを軸として西川さんが創業。
この道20年以上の西川さんですが、技術の追求が止まることはありません。最近ではお客様から「より薄く口当たりの良いグラスがほしい」「より映り込みが多くて輝くデザインにしてほしい」など様々なオーダーが届くとか。
「どうやって要望に応えて良い作品を届けるかはずっと課題です。技術の追求は、切子を続ける限り永遠のテーマですね。」と話します。
そして、伝統を後世へ繋ぐ場所でもある「天満切子工房 昌榮」。昔ながらの手磨きにこだわったり、全ての工程を手作業で行い一品ずつ完成させています。体験アクティビティとは一味違う本格的な切子教室も実施しています。
一度触れたら分かる天満切子の魅力
「一度、ガラスに触れてみてください。そして、天満切子を目で見てみてください。」自信に満ちた声で話す西川さん。「天満切子工房 昌榮」は、師から受け継いだガラス文化の灯を今日も大阪で守り続けています。
天満切子工房 昌榮
電話:06-6131-0100
住所:大阪府大阪市北区西天満5丁目14-7和光ビル103
アクセス:大阪メトロ南森町駅6番出口から西へ徒歩6分
HP:https://tenmakiriko-shoei.com/
SNS:https://www.instagram.com/kiriko_shoei/
*営業時間や定休日についての詳細は、上記のリンク先にてご確認ください。