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2026.08.15

名古屋駅から名鉄電車で30分ほどの津島市に、七宝焼の窯元「太田七宝」があります。細い銀線で模様を描き、透き通る釉薬を乗せて焼き上げる有線七宝。表情豊かな釉薬と銀線が表現する繊細な美しさは、間近で見るほど魅力的です。
6代目の野中(のなか)さつきさんは、手に取った瞬間に「あ、きれい。」と感じてもらえる工芸を残したいという思いで、作品を作り続けています。

江戸時代の末期、尾張の梶常吉(かじ つねきち)氏が、金属の素地に釉薬を乗せて焼く「尾張七宝」の製法を確立しました。その技術は現在のあま市七宝町の人々に伝えられ、農家の副業として盛んに作られるようになります。
「太田七宝」の始まりは1887(明治20)年。農家の次男だった太田實右衛門(おおた じつえもん)氏が七宝焼の技術を磨き、創業しました。
明治期には七宝焼が世界に知られ、海外へ盛んに輸出されるように。家一軒が建つほどの大作も生まれ、市民の暮らしにも普及し、多くの家庭に七宝焼の花瓶が飾られました。しかし第二次世界大戦に入ると、素地が金属である七宝焼は生産中止の危機に見舞われます。
窯元が次々と廃業するなか、2代目は試行錯誤の末、磁器を素地に使った「磁胎七宝(じたいしっぽう)」という技術を習得。カフスやバッジなどの小物を作り続けることで技術を守り抜き、3代目が校章や社章、アクセサリーの制作に注力した結果、七宝焼は再び暮らしのなかへ広がっていきました。

「太田七宝」が制作している校章や社章

普段遣いしやすいアクセサリーや芸術性の高い工芸品が並ぶ店内
その後、3代目の急逝を受けて継承した4代目によって作られた柔らかな色使いのアクセサリーが人気を集め、販路を広げました。しかし4代目が病に倒れたことで継承は一度途切れかけます。

店内のショーケースに展示されている七宝焼の数々
「この技術を絶やしてはいけない。」という使命感で受け継いだ5代目の平野敦子(ひらの あつこ)さんが、愛知県津島市に住む従姉妹の野中純代(のなか すみよ)さんに協力を求めました。その縁から、工房は現在の津島の地へ。七宝町で培われた技はいまも津島の地で息づいています。

5代目・平野敦子さんが手掛けたアクセサリー

店の2階にある体験教室。窯も設置されており、作品はその日に出来上がる
そうして新たな地で始めたのが、市民に向けた「七宝焼体験教室」です。
体験では素地に好きな色の釉薬を乗せ、窯で焼き上げるまでを2時間ほどで楽しめます。粉状の釉薬が窯の中で溶け、焼き上がると宝石のような輝きに変わる変化を自分の目で確かめられるのが、七宝焼体験ならではのおもしろさ。作品の多くはその日のうちに出来上がるため、遠方からの訪問者も旅の思い出として持ち帰ることができます。

体験教室で制作できる作品の一例
その教室から、思いがけない出会いも生まれました。野中純代さんの長女で、6代目を務めるさつきさんは、もともとIT企業でエンジニアとして働いていましたが、多忙な仕事の息抜きとして5代目の体験教室に足を運んだところ、その才能を見出されて職人の道へ。
さつきさんが惹かれたのは、ガラスのように透き通る「透明釉」の美しさだといいます。現在は暮らしに寄り添う使いやすいアクセサリーや小物を中心に制作し、尾張七宝の作り手として高い評価を得ています。

6代目・野中さつきさん
かつて数多くあった尾張七宝の窯元は、いまや数軒を残すのみとなりました。
さつきさんは「先祖が残した知恵と技術に触れられることに、誇りを感じます。」と話し、その魅力を未来へ残すため、先人の技術を織り込んだ大作を1〜2年かけて制作しています。仕事を終えた後、夜遅くまで作品と向き合う日々。大作はすぐに手に取ってもらえるわけではありません。それでも、未来の担い手のために、一作一作に思いを込めます。

さつきさんが1年以上かけて制作した大作
一方で、作品を手に取る人には「難しいことを考えなくていいんです。ただきれいだと感じていただければ。」というさつきさん。今日も銀線を立て、尾張七宝の美しさを伝えています。
株式会社太田七宝
電話:0567-25-8771
住所:愛知県津島市立込町2丁目3
アクセス:名古屋鉄道津島線 津島駅から徒歩15分
HP:https://ota-shippo.com/
SNS:https://www.instagram.com/otashippo/
*営業時間や定休日についての詳細は、上記のリンクからご確認ください。