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2026.01.25

780年以上続く伝統を、明日へ紡ぐ。「森博多織」が挑む次のものづくり

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780年以上続く伝統を、明日へ紡ぐ。「森博多織」が挑む次のものづくり

静かな工房に響く織機のリズムは、まるで呼吸のように一定で、この場所に生命力を与えているようです。創業130年以上、4代にわたり博多織を続けてきた「森博多織(もりはかたおり)株式会社」。

4代目の森 議夫(もりよしお)さんは「つくる現場を開く」という新たな挑戦に取り組んでいます。代々受け継がれてきた技と想いを、もっと自由に開いていく。その姿からは、伝統を守りながら時代を切り拓く覚悟が伝わってきました。

130年にわたり受け継がれる技と想い

2代目 森茂(もり しげる)さんが社名を「森博多織」へ改めた当初の工場

2代目 森茂(もり しげる)さんが社名を「森博多織」へ改めた当初の工場

「森博多織」の歴史は、明治に遡ります。初代 森竹次郎(もり たけじろう)さんは、もともと家業の廻船(かいせん)問屋を営んでいましたが、変化を楽しむ気質を持つ家柄や粋を好む性格も相まって、1896(明治29)年に「博多織屋」へと看板を掛け替えたのです。

時代は文明開化の真っ只中。博多織は大きな転換期を迎えていました。男性の洋装化が進む一方、人口の多くを占める農民や女性たちは、まだほとんどが和装。これから先は実用的な男帯から装飾的な女帯へと市場を変えていく。そんな時代の変化を見据えた挑戦でした。

2代目の茂(しげる)さんが継いだのは1940(昭和15)年。兵役を終えた後から本格的に事業に取り組み始め、地域の人々を雇用しながら一心に事業に邁進した茂さん。社名を「森博多織」へ改め、次代へ受け継いでいこうと決意したのです。

真面目で働き者だった茂さんは自動織機を導入し、1967(昭和42)年には工場を新設。こうして、「森博多織」の基盤を固めていきます。

現在の工場には直売所が併設されている

現在の工場には直売所が併設されている

そして3代目 純一(じゅんいち)さんの時代。子どもの頃から工場に出入りし、母親にくっついて糸繰りを手伝っていた純一さんは、1983(昭和58年 )年に家業を継ぎます。和装業界が好調な時代でしたが、純一さんの危機感は募っていました。

先細りが予測される和装ニーズに対し、純一さんが挑んだのが“和装製品を越える”という挑戦。絹の長所を活かした日用品づくりなどの試行錯誤の末、2010年に「絹のボディタオル」が誕生しました。

「詳しい創業時のことは3代目の父に聞くしかないんです。私は父がある程度変革をし始めた頃からしか知らないので。」と4代目の議夫(よしお)さんは笑います。初代の挑戦、2代目の基盤づくり、3代目の革新、そして4代目へ。一つの家族が紡いできた130年以上の物語が、この工房には確かに受け継がれています。

守り続けた献上柄、時代とともに変わる形

  左下:独鈷(どっこ)、左上:華皿(はなざら)といった仏具が献上柄の模様になっている

左下:独鈷(どっこ)、左上:華皿(はなざら)といった仏具が献上柄の模様になっている

工房の壁に掛けられた帯には、幾何学文様が織り込まれています。独鈷(どっこ)、華皿(はなざら)、親子縞(おやこじま)など、「献上柄(けんじょうがら)」と呼ばれるこのデザインには、厄除けや家庭安泰の願いが込められているそう。

江戸時代、黒田長政が徳川将軍にこれらの仏具を献上したことから「献上」という名前がついたとされるこの柄は、博多織の象徴として受け継がれてきました。武士たちの間で口コミが広がり、全国に流通した博多の帯。しかし明治時代に武士という身分制度が廃止されると、初代をはじめ博多の織屋たちは、女性用の帯へと市場を変えていきました。

献上柄は武将の黒田長政により全国に広まったとされる

献上柄は武将の黒田長政により全国に広まったとされる

それから130年。「森博多織」は、伝統的な献上柄を守りながらも、時代の変化に応じてしなやかに形を変えてきました。その根底には、初代が時代の転換期に廻船問屋から博多織屋へと舵を切った、挑戦の精神が流れています。

一本の帯に宿るストーリー

蚕(かいこ)の繭(まゆ)を原料につくられた白い絹糸を染料で染めたもの

蚕(かいこ)の繭(まゆ)を原料につくられた白い絹糸を染料で染めたもの

染色場には、色とりどりの絹糸が整然と並びます。絹は人間の髪と同じ動物性繊維で、極めて繊細です。乾燥している時期は静電気で切れやすくなり、梅雨の時期はジメジメして風合いが変わるそう。染色も職人の目で行うため、同じ色を完全に再現するのは難しいのです。

「絹は手がかかる。でも、しっかり手をかければ応えてくれる素材です。」と議夫さん。湿度・温度による絹糸の表情の変化を読み取り、色合わせの妙を見極めるのは、長年の経験がなせる技。「百貨店に出す以上、品質には一切妥協できない」その緊張感が、「森博多織」の製品を支えています。

染め上がった絹糸を使いやすい形に巻き直す工程「糸繰(いとく)り」

染め上がった絹糸を使いやすい形に巻き直す工程「糸繰(いとく)り」

構想から製織まで、一本の帯にかかる期間は2ヶ月以上かかるそう。デザインを決め、色糸を選定し、経糸(たていと)を準備する。約10工程を経て、丁寧に検品されたものだけが世に出されます。

「織りの工程だけを見ても、1日に2〜3本が限界です。細い経糸(たていと)をたくさん使い柄を織り出す博多織の特徴は、かなり時間のかかる作業によって生まれます。」と議夫さん。

かけた時間が価値になる博多織の哲学を知れば、高価なものとされがちな博多織も決して高すぎることはないとわかります。こうして多くの手が加わることで、締めやすく、丈夫で、長く使える博多織が誕生するのです。

伝統を体験し、身近に感じられる文化へ

経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が織り合う美しい光景

経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が織り合う美しい光景

「森博多織」が2006年に工場見学施設を開いたのは、創業以来の大きな決断でした。「工程を見ることで、初めて価値がわかる。つくり手の想いが伝われば、単なる商品ではなく“記念品”になると思うんです。」と議夫さんは語ります。

工場では、職人が織物をつくる工程を見学でき、色糸選びの楽しさや織機が動き出す瞬間の感動を間近で 体感することができます。また、昔ながらの手機(てばた) を使って、自分の手で博多織の伝統模様を織り上げる体験もできるため、 団体客や海外からの観光客も訪れるそうです。

工場内には織機も含め15台以上の機械が並ぶ

工場内には織機も含め15台以上の機械が並ぶ

「つくる現場を開く」挑戦を続けてきた「森博多織」は、平成に入り、新しい試みを行うことに。着物の需要が少しずつ減る中で、より身近に使える雑貨の製作に乗り出したのです。

「旅の思い出になるボールペンや小物が人気です。絹の表情を生かした“持ち歩ける博多織”は、帯を知らない若い世代にも受け入れられています。」議夫さんが教えてくれました。

ボールペンや栞などの博多織雑貨はお土産にも好評

ボールペンや栞などの博多織雑貨はお土産にも好評

伝統の技術を、現代のライフスタイルに合わせて届ける。それが、「森博多織」の挑戦です。

工場に併設された直売所には地産地消の農産物や特産品が並び、旅の途中でふらりと立ち寄る人も増えているとのこと。作品が生まれる瞬間に触れられる特別な場所として、まちの観光と文化が自然にリンクする仕組みができつつあります。

4代目が描く、「森博多織」のこれから

4代目 森 議夫(もり よしお)さん

4代目 森 議夫(もり よしお)さん

「継承しても、売れなければ意味がないんです。」議夫さんは、そう率直に語ります。

3代目の時代には絹の素材を生かした製品開発にも挑戦しましたが、原材料費の高騰や需要の変化を受け、あえて本業に立ち戻る決断を下したことも。遠回りにも見えたその試行錯誤が、いまの工場見学や体験、雑貨展開へとつながったといいます。

近年、博多織の世界には新しい動きも生まれています。専門学校で学んだ若いデザイナーたちが自ら工房を構え、表現の場を広げており、「森博多織」が現場を公開する取り組みもまた、「ここで働いてみたい」と思うきっかけの一つになっているといいます。

「守るべきものと、変えるべきもの。 伝統を“今の感性”へと翻訳し続けることが、4代目としての役割だと考えています。多くの方に、まずは博多織を見て、触れて、体験してもらいたいですね。」

長きにわたって受け継がれてきた技と精神は、今日も工房の中で息づいています。


森博多織株式会社 
電話:092-932-0577 
住所:福岡県糟屋郡宇美町桜原3-4-7 
アクセス:福岡空港から車で30分  
HP: https://hakataori.co.jp/  
*営業時間や定休日についての詳細は、上記のリンクからご確認ください。