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2024.06.15

休業を越えて。歴史を刻む銭湯「帝国湯」

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休業を越えて。歴史を刻む銭湯「帝国湯」

韓国料理店やアジアンフードの香りとともに、日本文化を象徴する銭湯がいくつも息づく三河島。
耳を澄ますと人々の生活音が聞こえてくるような通りに、「帝国湯」はあります。

100年余りの時を重ねる銭湯、「帝国湯」

現在も開業時の面影を色濃く残す「帝国湯」が出来たのは1916(大正5)年。

多くの震災や戦争を乗り越え、今なお100年以上の歴史を重ね続ける「帝国湯」ですが、2022年の4月「帝国湯」の5代目オーナーであった甚五君枝(じんごきみえ)さんが亡くなってしまったことにより、存続の危機に陥りました。

君枝さんが亡くなったことで、「帝国湯」は休業を余儀なくされ、一時「湯」の暖簾を下ろします。

乗り越えた”危機”

再開を心待ちにするお客さんの声を受け、君枝さんの甥にあたる甚五與司直(じんごよしなお)さんが6代目オーナーとして名乗りをあげます。

昨今、歴史ある銭湯ほど、後継者問題や経営不振などによって続けることが難しくなっています。

そのなかで與司直さんも沢山の困難に直面しましたが、休業から1年後、「帝国湯」は見事に復活を遂げます。

そんな復活の陰には、「帝国湯」を支え続けてきたもうひとつの家族の姿がありました。

番頭一家の石田家

番頭の石田綾子さん(左)と、釜じいこと石田勇さん(右)

番頭の石田綾子さん(左)と、釜じいこと石田勇さん(右)

”釜じい”こと石田勇さんは番頭として50年以上「帝国湯」を切り盛りしていました。再開を境に父の勇さんから子の綾子さんへと番頭のバトンが渡ります。
元々、番頭の仕事を継ぐつもりはなかったという綾子さんですが、自分の仕事が終わってから夜に銭湯へ来て、兄の和男さんとともに金銭の集計や掃除の手伝いなどをしていたそう。


「帝国湯」が休業を迎えた時も、いつでも再開できるよう、勇さんとともに釜に熱を入れつづけ、設備や庭の手入れを行っていました。

釜場で薪のくべ方を教えてくれた綾子さん

釜場で薪のくべ方を教えてくれた綾子さん

そんな折、與司直さんから声を掛けられます。「帝国湯を開けようと思っているんだけど、手伝ってくれる?」

「自分にはできることと出来ないことがあるけれど、父も兄も、待ってくれていたお客さんもいるから出来る限りはやりたい」と、綾子さんは番頭を父から継ぐことを決断しました。

これからも地域に愛される銭湯に

左から甚五與司直さん、柴田美香さん、石田綾子さん、石田和男さん

左から甚五與司直さん、柴田美香さん、石田綾子さん、石田和男さん

2024年4月に再開から1年が経った帝国湯。。
オーナーの甚五家と、番頭の石田家の二人三脚で盛り上げる銭湯には、今日もご近所さんの楽しそうな笑い声が響きます。

綾子さんはこの1年を振り返ります。
「この1年、兄が一番大変だったと思います。自分の仕事が終わった後、夜の締め作業なども兄がやってくれるんです。頭が上がりません。兄がいるから私も頑張れるんです。私の頑張りを兄も認めてくれているから手伝ってくれているんだと思います」

そんな綾子さんの言葉に兄の和男さんは、
「女性に薪とか釜は大変だよね。普通は番台だけだよ。どっちもやっていて大変だよ。頑張っているのを知っているし、ここを続けていくために支えているだけだよ」

そんなお二人のエネルギーの源は、銭湯を通じて出会うことのできる人々です。

男湯の脱衣所から。通り抜ける風が心地良い

男湯の脱衣所から。通り抜ける風が心地良い

浸かると体が赤くなる、ぴりりっと熱いお湯。
心と体がほぐされるような体験です。

『銭湯すたれば人情もすたる』
詩人、田村隆一さんの詩の一節にあるように、銭湯文化が人のぬくもりを育みます。

新米番頭は、今日も火を絶やしません。
みんなの心に明かりを灯すように。


帝国湯
住所:東京都荒川区東日暮里3−22−3
アクセス:常磐線三河島駅から徒歩8分
HP:http://arakawa-sento.jp
SNS:https://twitter.com/TeikokuY1916
          https://www.instagram.com/teikokuyu.nippori
*営業時間や定休日についての詳細は、上記のリンク先にてご確認ください。