2024.04.15
郡上八幡で昔ながらの製法を守り、藍染を作り続ける渡辺染物店。
江戸時代から400年以上、伝統的な藍染の製法・正藍染(しょうあいぞめ)で郡上本染めを守り続けています。
郡上八幡は市街地の中央を水量豊かな吉田川が流れる自然豊かな町です。
承応元年(1652年)に起こった大火を機に水路が整備され、その後の再整備でもあり、町の隅々まで行き渡る水は防火用だけでなく生活用水としても使われるようになり、郡上八幡に住まう人々にとって「水」を生かした生活が根付いています。
そんな水の町で伝統工芸“郡上本染”を守り続ける渡辺染物店を訪ねました。
藍染は、明治のはじめに日本を訪れた英国人教師が「ジャパン・ブルー」と表現し、海外から日本を代表する伝統文化と認知され、高い評価を受けています。
日本でも国内で育った藍を原料とし、日本の風土と人に溶け込んできた藍染。天然藍には防虫効果があり、畑作業時にマムシを避けるとされ、現代では日没後に篝火を焚きながら行う岐阜の伝統芸能である鵜飼では常に火の粉を浴びる鵜匠の安全を守る燃えにくい服として使用され、昔も今も藍で染められた服は親しまれてきました。
そんな暮らしを支える、布を藍(あい)で青く染める仕事を生業とする人・店は、全国の様々な地域に存在し、紺屋(こうや)と呼ばれていました。時代の流れとともに化学染料が増え、紺屋は数える程度になりました。ここ郡上八幡に17軒あった紺屋も、今では渡辺染物店1軒となりました。
渡辺染物店は化学薬品を使用せず、昔ながらの製法“正藍染”を今も守り続けています。
正藍染を守り受け継いだ先代の14代目当主・庄吉さんが郡上の正藍染を郡上本染と称し、1977 年(昭和 52 年)に岐阜県重要無形文化財に指定されました。店内には郡上本染に使用される甕が土間に埋め込まれ、周りには使い込まれた道具も並んでいます。何度も、何度も染液に浸して染め上げた深い藍色が特徴の郡上本染。
「継ぐことは当たり前のように意識していました。」
「小学生の頃から家で手伝っていました。染めない部分を線描するもち糊を作るためにもち米を煮たりすることから始めました。寒ざらしで洗い落としていたのも、このもち糊です。端午の節句で掲げられる武者幟を染める手伝いも、ぼかしがなく比較的塗りやすい赤色から始め、黄色、黒、緑、ぼかしがある部分や大きな面積と、徐々に難易度の高い内容に挑戦していきました。」と目を輝かせながら、技術を磨いてきた様を話してくれました。
多くの海外の方も渡辺染物店を訪れます。「日本の方はもちろん、海外の方問わず、藍染体験は受け入れています。海外の人にも手染めの鯉のぼりや藍染の文化が広まれば嬉しい。海外の方にテーブルランナーに使う大きなものが欲しいと言われたこともあります。海外の人の生活は日本とは異なる点があります。海外の方との会話は新しい刺激になります。いろんな人の生活や習慣も取り入れ、デザインや製作をしていきたいし、作っていくことが楽しい。染め上がった作品との対峙は楽しく、いつもワクワクします。」
先に海外の方が表現したと紹介したジャパン・ブルーの通り、藍染は深い藍色が魅力です。染物は色が落ちたり、色移りすると思う人もいるかもしれません。しかしそれにも増した魅力について「郡上本染は天然の藍が織りなす優しい色だし、使えば使うほど年輪が現れる、軌跡が出てくる懐が深い色です。」と渡辺さん。
天然の原料だから、藍とそこに混じった僅かな枝、木のアクなど複雑な色合いが混ざり合い、定着して移り変わる色合い。藍色の中には様々な要素が色として見え、“藍”の奥深さとして感じられます。擦れや洗いで変化していく色は使う人の歴史がそこに現れています。作り手、使い手の愛情が伝わる、この奥深い郡上本染を渡辺さんは大切に守っています。
そこに郡上本染を守り、受け継いでいく理由がありました。
ここ最近は郡上本染と岐阜の伝統文化との合作が見られるようになりました。美濃和紙を糸状にしたものと綿と編んで生地にしたものを染めたり、岐阜和傘用の本美濃和紙を染める事もあります。またもち糊を作るための釜戸の薪は郡上の地域の中で調達します。
岐阜の中で伝統文化を支え合い、後世にバトンを繋いでいく。後世に残すべきものは変えないよう、できるだけ、昔のやり方を維持できるよう努力をしています。
かたくなに昔ながらの紺屋の手染手法を守る渡辺染物店。
懐の深い郡上本染が見るものを奥深い藍の世界へと誘います。
渡辺染物店
電話:0575-65-3959
住所:岐阜県郡上市八幡町島谷 737
アクセス:JR「郡上八幡駅」下車 徒歩20分、郡上八幡コミュニティバス「川原町」下車 徒歩1分
SNS:https://www.instagram.com/gujozome/
※営業時間や定休日についての詳細は上記のリンク先にてご確認ください。