2024.06.26
NEIGHBORS
石田勇さんと長女の綾子さん
現在も、古き良き日本文化に身を置いて時を過ごすことが出来る「帝国湯」には、切っても切り離せない、石田家の物語がありました。
今から50年以上前、目黒の銭湯で住み込みで働いていた石田勇さんは、池袋の銭湯で働いていた奥様とお見合い結婚をして帝国湯で働き始めました。
ご夫婦は番頭として銭湯の運営に携わり、番台に立ちながら窯場の様子を見るなど「帝国湯」を切り盛りしてきました。
銭湯を切り盛りするのは大変なことで、石田兄妹が幼いころから家族の時間は少なかったといいます。
幼いころの思い出を語ってくれたのは長女である石田綾子さんと兄の和男さん。
「番台交代のほんの30分から1時間の間だけが家族の時間でした」
わずかな時間にお風呂とご飯を済ませるため、早飯と早風呂は慣れっこだったといいます。
「母は子供達にご飯を食べさせる、その片づけをする、番台に行く、釜をやる。全ての作業をその少しの時間で行っていたんです」
いつも忙しく働くお父様とお母様の代わりに、頼りにしていたのはいつも面倒を見てくれる近所のおじさんやおばさんでした。
「お風呂に入れてもらったのも、休みの日に遊びに連れて行ってもらったのも近所の人でした」
忙しくて時間が取れなくても、亡きお母様のことは尊敬していたそう。
「おふくろはすごかったんだよ。ここ50年この銭湯は、おふくろでもっていたんだよ。そんなすごい人のことを身近で見てきたからなあ」綾子さんの兄の和男さんはしみじみと語ります。
兄の言葉にうなずく綾子さん。
甚五家と、石田家と、帝国湯。
長い歴史の中にはどんな物語があったのでしょうか。
1年の休業から、息を吹き返した帝国湯
左から甚五與司直さん、パートナーの柴野美香さん、石田綾子さん、和男さん
オーナーの世代交代とともに、番頭の石田家でも世代交代がなされました。
石田家では、長年帝国湯を支え続けてきた「釜じい」こと石田勇さんから、娘の石田綾子さんへ意志が継がれます。
石田綾子さんと、釜じい。釜作業などは2人で1人
再開前の出来事について、綾子さんはこう話します。
「休業を迎えた後、近所の人から『いつ再開するの?』と聞かれていました。
私たちはオーナーではないので、甚五さんの意思に従うだけです。ただ、いつでも再開できる準備だけはしておこうと」
休業後も勇さんと綾子さん親子は2~3日に一度、釜に薪をくべ、浴槽にお湯を貯めてきました。
煙突の熱を絶やさず、カランの湯も絶やさない。浴場の設備以外にも、庭の手入れなども欠かしませんでした。
薪をくべる綾子さん
綾子さんは、当時の状況を語ります。
「元々、自分が継ぐというつもりはありませんでした。亡くなった母から、手伝わせない、継がせない。といわれていたんです。母が生きていたらやっていなかったと思います」
綾子さんは、高齢のお父様にこれ以上続けることは無理だとわかってもらうため、手伝わないことを伝えていたといいます。
「母が亡くなった時、父も年だし、これ以上続けるのは無理だというのを分かってもらうために、手伝わずに別の場所でパートをしていました。ただ、手伝わないといいつつパートが終わってから夜に来て集計して、兄とともに掃除をしたりしていたんです」
父の勇さんから番頭を受け継ぐつもりはなかった綾子さんですが、甚五さんから「帝国湯を開けようと思っているんだけど、手伝ってくれる?」と声を掛けられたといいます。
「私は女だから、出来る事と出来ないことがある。それでもみんなが手伝ってくれるなら、番頭の仕事をやろうと思いました。あとは、父にこれ以上頑張ってほしくなかったんです。ずっとやってきたから、もうゆっくりして欲しかった。自分には父もいる、兄もいる。待っていてくれたお客さんもいる。1人じゃないから、出来る限りはやってみようと思いました」
帝国湯は、再開から1年が経ちました。
オーナーの甚五家と、番頭の石田家。
二人三脚で盛り上げる銭湯には、今日もご近所さんの楽しそうな笑い声が響きます。
次回は、番頭の石田綾子さんに銭湯の楽しみ方を教わります。
帝国湯
住所:東京都荒川区東日暮里3−22−3
アクセス:常磐線三河島駅から徒歩8分
HP:帝国湯
X(旧Twitter):https://twitter.com/TeikokuY1916
Instagram:https://www.instagram.com/teikokuyu.nippori?igshid=ZDdkNTZiNTM%3D
*営業時間や定休日についての詳細は、上記のリンク先にてご確認ください。