2024.05.03
NEIGHBORS
大きな振り子時計が、時を刻みます。
ねじを巻いて始まるのは、108年目の新しい1日です。
今もまだ現役で活躍する振り子時計
韓国料理店やアジアンフードの香りとともに、日本文化を象徴する銭湯がいくつも息づく三河島。
耳を澄ますと人々の生活音が聞こえてくるような通りに今も残る、古き良き時代の銭湯「帝国湯」を訪ねました。
100年を超える時を重ねてきた銭湯、「帝国湯」
立派な門が銭湯の印
100年以上続く老舗として、今でも昔の趣を存分に感じることが出来る佇まいは、まるで映画の世界です。
「帝国湯」を創業したのは石川県能登出身の甚五(じんご)家。
現在のオーナーである甚五與司直(じんごよしなお)さんのご先祖にあたります。
板張りの洗い場や木造の浴槽がタイル張りの設えとなり、銭湯文化が近代的な姿に変わりはじめた1916年(大正5年)のことでした。
のれんには、2代目オーナーが書いた「天以古久」の文字
長い歴史の中で帝国湯は、戦争や自然災害を乗り越えてきました。
中でも1923年(大正12年)におこった関東大震災や1945年(昭和20年)に起こった東京大空襲によって、建物は大きな損害を受けます。
そのたびに補修を重ねながら営業を続け、現在の建物は1952年(昭和27年)ごろに建て替えられたものです。
番頭として銭湯を見守る石田綾子さんは、
「男湯の赤いレンガと女湯の柊の木は、災害にも戦争にも耐えて、帝国湯が生まれた時からずっとありました。柊は今でも新芽を付けています。」と、歴史を振り返ります。
長い時を過ごしてきた「帝国湯」は、歴史の証を刻んでいます。
男湯の庭にあるレンガの壁
女湯の庭にある柊の木
休業に追い込まれた「帝国湯」
”時” を映し出す「帝国湯」ですが、2022年の4月、5代目オーナーの甚五君枝(じんごきみえ)さんが突然亡くなり、休業に追い込まれました。
現在オーナーとして帝国湯を率いるのは、君枝さんの甥の甚五與司直(じんごよしなお)さん。
「幼いころから両親が忙しかったので、祖父母の家に預けられることが多かったんです。小学生くらいの時から祖母に『いつかはあなたが風呂屋を継ぐんだよ』と言われて育ちました。
なので、叔母さんが亡くなった後は自分がという心づもりはありました。」
しかし歴史ある銭湯は、後継者問題や経営不振などによって、続けることが難しくなることが多いといいます。
與司直さんも自分が継ぐという気持ちはあったそうですが、すぐに再開することは出来ませんでした。
「この建物は、自分が生まれ育った家でもあり、幼いころからなじみの石田兄弟もいます。再開したい思いはあったのですが、先代が亡くなった時点で帝国湯は赤字でした。
赤字ならやめなさいとの声もあったんです。」
しかし、再開を心待ちにする多くのひとの応援を受け、2023年4月、與司直さんは再び帝国湯をオープンさせました。
上:休業中に玄関に貼られていた手紙
下:最寄りの三河島駅とのコラボポスター
「帝国湯」の歴史を守ってきたのは甚五家だけではありません。
長きにわたりこの銭湯を支え続ける一家がいました。
それは、”釜じい”こと石田勇さんとそのご家族です。
次回は甚五家とともに50年以上前から「帝国湯」を守り続けてきた、番頭一家の石田家の皆さんにお話を伺います。
帝国湯
住所:東京都荒川区東日暮里3−22−3
アクセス:常磐線三河島駅から徒歩8分
HP:帝国湯 | 荒川浴場組合 (arakawa-sento.jp)
X(旧Twitter):https://twitter.com/TeikokuY1916
Instagram:帝国湯(@teikokuyu.nippori) • Instagram写真と動画